グラン・トリノ

劇場はレイトショーということもあって6割くらい。初老の夫婦がちらりほらり。あと定番のカップルがちょっといて、単独男性が数人。女子2人組みというのもいて、なんで来たのか気になる。
映画の内容で印象深かったのは、主人公の息子家族のリアルさ。あの薄っぺらい家族の空気。日本もアメリカも変わらないね。ちゃんと仕事をして金を稼いで、立派な家もあるんだけど、心の誇りみたいなのが無い。なんとなく張りぼてみたいな感じ。こういう空洞化は経済的に繁栄した国には必ず現れるものなんだろうか。繁栄は退廃の始まりなんだろうか。たぶんそうだ。
この空洞化した状況に新風を吹き込むのが、隣の移民の家族。移民故にコミュニティが生きていて人のつながりも篤い。孤独な主人公は最初はうざったく思っていたがどんどん惹かれていく。そしてひとりの少年を育て始めることになる。
少年を育てるときに重要になるのが手仕事だ。家の修繕をしたり、土木作業をしたり、庭の仕事をしたり。主人公が50年かけて買い揃えた工具類が価値あるものとして見えてくる。この手仕事というのは単に実益以上の意味を持っている。自分の手で何かを直したり作ったりできるということは、人の(特に男の)成熟にとって重要なものであると思う。この手仕事がいまの社会からは激減してしまっていることは、社会が空洞化したことと同じ原因を共有している。便利になることは必ずしもよいことではない。
あともうひとつ重要なのが受け継ぐということだ。人は人生の終盤に入ると自分の生には限りがあることを自覚する。そのとき受け継ぐということが重要になってくる。思うにアメリカ・日本問わず、この受け継ぐということが致命的にうまくいっていない。これは消費資本主義の欠陥だと思う。すべての人が若くありたい、人生の主人公でありたい、と願う社会では、受け継ぐという意識は芽生えない。舞台を譲るという感覚が生まれてこない。人生とは預かり・生かし・受け継ぐというサイクルなんじゃないのだろうか。