樋口裕一「発信力 頭のいい人のサバイバル術」
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さて、「沈黙は金」と「自己アピールは必要」、どっちがよいのだろうか?
確かに、「沈黙は金」は日本的な価値観と合っていると思う。同様の諺に「能ある鷹は爪を隠す」などもある。大河ドラマなどでもこういった価値観が描かれることが多い。自分の能をひけらかすのは下品なことであり、わかってくれるべき人はわかってくれる。見ている人は見ている。こう思っている人は多いだろう。しかし、それは今の時代には合わなくなってきたのではないだろうか。
というのも、「沈黙は金」の価値観は、ひとつのコミュニティが永続的に存在する場合に有効なものだからだ。そのコミュニティのメンバーが年月を経てもそれほど変化せず、長い目で人を見れるのならば、沈黙をしていてもそのうちにきちんとした実力を把握できる機会も訪れるだろう。ただ、現代においてはコミュニティの持続時間は短くなっている。特に会社組織はそうだ。昔は40年持ったかもしれないが、今は5年先にどうなっているかもわからない。このような状況で沈黙を保っても、実力が判明する前に組織自体が無くなってしまう可能性がある。またじっくりと人を見ている余裕も少なくなってきているので、上司が部下を判断するにしても沈黙の裏まで目を配れないのが実情だと思う。
というわけで、現代においては「自己アピールは必要」だと考える。小論文おわり。
以下、自分用メモ。
- オタクというのは、基本的に受信することだけで満足してしまう存在。情報がそこで止まってしまう
- 情報はお金と同じように回りまわっていくべき。受信と発信
- コミュニケーションは発信から始まる
- 自分というのは日々作っていくもの。毎日していることがだんだんと自分になっていく
- セルフイメージにこだわらず、これまでとは違った自分を獲得しようとする
- 情報は交換しあうことが前提。他者に与えなければ意味がない
- 人を批判するときは、自分のことは棚に上げる
- 後で恥をかくのを畏れるエクスキューズのための謙虚さは、持つべきではない
- 100点満点の人だけが発信していいわけではない。60点あれば十分
- 誰かが動いてくれるのを待たない。誰かが自分を引き立ててくれるのを待たない。どこからか素敵な人が現れて自分をさらってくれるのを待たない。自分から目を留めてくれるように動き、自分から愛してくれるように行動する
- みんなにモテようとすると、つまらない人間だと見なされだれからもモテないことになる。反対する人間が出てこそ当たり前
- 人間関係というのは、お互いに利益をもたらしあう関係によって成り立つ。それが相手を尊敬しあうということ
- 作者: 樋口裕一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/02
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