賢い身体 バカな身体

購入。甲野善紀桜井章一の対談本。
印象に残ったところをクリップ。

桜井 そういう意味で、流れの感覚は非常に大事です。流れの中に起きてくるある動きや現象なんてものは、当然ながらそれだけで独立しているわけではないんですが、人の目や思考はそのひとつひとつにとらわれるんですね。
 だから、「ひとつやったらおしまい」みたいな人がたくさんいる。たとえば、「悪い、タバコくれる?」っていうと、タバコだけ持ってくる人もいるし、「タバコ」って言ったら、ライターも持ってくる人もいるし、灰皿も持ってくる完璧な人もいる。つまり、流れっていうのは、「ひとつやったらおしまい」の感覚だとそこで切れてしまうわけです。そういう人には流れは来ないし、流れをつかむこともできません。 p69

桜井 以前、雀鬼会の若い連中と沖縄へ行って、東京の羽田空港に戻ってきたら、台風でどしゃぶりのひどい雨風なんですよ。夜も遅いし、こんな天候だからタクシー乗り場はひどく混んでいるんだろうなと予想してたら、案の定、たくさんの人が待っている。
 そこでちょっと離れたところへ行ってみたら、1台つかまえることができて、二人乗れないのを残してとりあえず乗ったんです。そうしたら、後ろからスッと1台走ってくるのが見えた。その瞬間、雨の中へ飛び降りて、そいつをつかまえたんです。乗れなくて雨のなかに立っていた二人は車が来たことに気づかない。そのうちの一人は普段からほんと鈍い子で、何に対しても気づかないんです。ところが、こっちが雨の中でとっさに動いてつかまえたのを見て、何か響いたんでしょうね。それからものすごくふだんの行動が変わったんですよ。「本当に動かなけりゃいけないんだ、気づかないといけないんだ」ということがストンとわかったんだと思う。 p114

甲野 つまり現代は、子供達にとって、ある部分の能力だけを向上させるようなきわめて偏った教育環境になってしまっています。これは筋力トレーニングのように特定の部分だけを鍛えて栄養をやって太らせてということに似ている。
 ある出版社の人が言っていましたが、ペーパー試験ではいい点をとっているのに面接をしてみたら、まともに会話もできない若者が結構いるらしいですよ。こちらがいろいろと質問しているのに、まるで独り言を言っているような答え方をするものが少なからずいて、「本当にこれで日本は大丈夫かな」と思ったそうです。どう考えても、そんな人はどこへ行っても大して使いものにならないでしょうから。
 人として磨くべき最も重要な能力をなおざりにしている親があまりにも多いと思います。人間の持っている能力の、ある一部分ばかりにとらわれて、全体のバランスを見ないんですね。 p134

桜井 何でそうなってしまうのかなと考えると、やはり人と「接する」能力を欠いたまま育ってきていることが大きいんですね。机で学ぶ知識やゲームやインターネットばかりに接していて、ナマの人間、ナマの現実に接する時間が少ない。だから人間関係の呼吸もわかんなくてうまくいかないんですね。 p136

甲野 若い人たちにとにかく私が言いたいことは、何かトラブルが生じたときに、「あいつに行ってもらえれば安心だな」と言われるような、そんな人間になれってことです。
 トラブルの現場に行くということは、ものすごい不平や小言を言われたり、ミスをした弱みに付け込まれて無理なことを要求されたりするわけです。でも、そういう場でただ頭ばかりペコペコ下げてくるわけじゃなくて、プライドを持って謝るべきところは謝る。でも筋の通らないことは絶対譲らない。自分が職を辞めても妥協できないところは、絶対妥協しない。そういう気骨を示せるかが人としての力量のみせどころだと思います。
 要するに、うまくその場を収めるというのは、もっともその人の総合的な人間力が問われるところです。相手にも見る目があった場合、謝り方が立派だというので、その後かえって緊密な関係が築ける場合だってあるでしょう。でも最近の教育では、そういう人間力を磨くようなことを教えない。だからそんな人間がなかなか育ちにくいんですね。 p149

桜井 私はかねがね、「部分は病」と言っているんですが、物事を正しくとらえるには全体観が必要です。部分だけを見て思考したり、何かを行ったりしても、バランスの悪いズレた見方しかできません。
 部分にとらわれたら、絶対に全体はつかめません。それなのに部分だけを熱心に観察して、身も心もどっぷりつかってしまっているような人がむしろ評価されたり、尊敬されたりするんですよ。いわゆる、「オタク」と言われている人たちの世界なんかはまさにそうでしょう。細かい部分、部分にこだわって血道を上げる「部分病」患者が、これからますます増える時代なんでしょうね。 p186

甲野 現代人が得たものと失ったものということでいうと、この携帯電話の話は一例にすぎないわけで、自動車や家電製品やパソコンなど、さまざまな文明の利器にはすべて同じようにプラスと同時にマイナス面があるのだと思います。体力が衰えたり、身体の感覚が鈍化したり、創造性をなくしたり、対人関係に齟齬をきたしたりと、文明の利器は多くの利便性を与える代わりに、さまざまな形でマイナスのものをもたらしている。 p202

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